「第2次樺太鉄道調査隊」20
2015年6月9日(火)〜6月19日(金) 11日間

Page 10 特別編 Karamatsu
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大いなる樺太(最終回)

この樺太調査で一番印象に残ったのは
やっぱりこの40連橋だった

その後の調べで橋台からして未成線との見方が高まった
この高台に更なる橋梁群 それは石炭積み出し線を阻害しない為だったようだ
ほほ終点に近いこの地に最大の樺太劇場が今も残っていた事は何よりうれしい
戦後の経緯はわからないが現存するという事に対してロシア人もすてたもんじゃないかなっと思う

もしここに再度橋梁が架けられ歩けるとしたら ぜひともと思うし
残してくれたロシア人たちとも歩いてみたい
間宮海峡40連橋ありがとう!

年の頃なら40ぐらいか ひとり接収後のソ連軍と向き合う彼 名前もわからない
樺太東線白浦駅(ブズモーリェ)の駅長だ
「ヨウ ヤポンスキー うるせえんだよって」 外野の声が聞こえてきそうな中
彼の視線は怯むことなく一点を見据えてる ソ連軍侵攻後 捕虜になるも 鉄道再開の為召集された
積み上げてきたもの全てが一瞬にして消滅した 彼だけでなく現地日本人は同様だった
開拓と国威向上の大黒柱としての樺太の鉄路はそんな彼らに守られてきた
発するオーラは画像全員をも呑込んでる
心の中ではなめんなよと怒りをこみ上げながらも おまえらに何がわかる
譲れんもんは譲れんと発してるようにしか自分には見えない
南樺太をくまなくまわった調査隊 どうしてこれだけの事がその時代に成し得たのか?
素直な疑問という答えを感じた
祖国を愛し 樺太を愛し 家族との幸せを願った彼らには きっと譲れんもんは譲れんがあったからではないか?
屈辱の腕章をしながらも 樺太鉄道庁制服をきちんと着用している
これ以上の言葉が不要なほど 彼の眼光は樺太鉄道魂に燃えていた

銃を置いた日本軍がどうなったか
兵士の大半はシベリアでの抑留をよぎなくされ 長くはは13年もの月日を要して帰還したもの
抑留中絶命をしたもの3割りとも聞く 民間人の多くは 北海道への避難を敢行するも
戻りきれなかった人々はソ連軍の命令により 元の住居へ戻るよう指示された

今の国会でのやり取りはあまりにも茶番
揚げ足を取ってるばかりの民主党他野党 一語一句の問い正しも いざ紛争が始まったら
そんな理屈は一切通用しない 他国に対して日本の腹の打ちをすべて公開してるも同然
隣国はニヤニヤしてるだけだ
国家防衛 平和堅持とは 揚げ足とりでなく 紛争が起きない環境を意味する
尖閣も竹島も我が国の詰めの甘さに乗じただけで 問題は国内に存在する
繰り返すが紛争が起これば 予期せぬ事は想定の内であり 解釈などなんら有効とならない
日ソ不可侵条約なるものなど日本人のお人よしが助長したと言ってもいい

日本にあって他国に誇れるものそれは「英知」である
国家防衛は武力では堅持出来ない 「英知国家」こそが 最大の国家防衛であり
平和の扉を開ける手助役となる

現樺太内ではここ一番のものには必ず日本製や日本技術が採用されている
価格で済む品は殆んどが韓国製
ロシア人はトヨタとは言わない ランドクルーザーと言う
多国の車ディーラーはガンガンCMを打つが シェア9割り以上の日本の自動車メーカーのCMは少ない
現在の鉄道車両も富士重工がコッソリと納入してる
世界遺産でいいなら楽に10箇所ぐらいは候補地がありながら
一歩裏道へ行けば 強烈なゴミの山 砂埃舞う砂利道を行くハイヒール女
素晴らしい自然と歴史だけに ずれっぱなしが口惜しい

鉄道もなかった北樺太から侵攻して来たソ連軍に丹精込めた鉄道を引き渡さなきゃならなかった彼ら
幾多の試練がその後あったかしらないが きっとその魂と共に生き延びたに違いない

⇒特別編へ続く

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