■15周年記念特別企画第3弾■
「銀河鉄道の夜を求めてinサハリン(樺太)」6
6月4日(水)〜6月10日(火) 7日間
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旧真岡(ホルムスク)⇒旧本斗駅(ネヴェリスク)⇒旧内幌炭山駅(シャフタサハリンスカヤ) だれもいない 捨てられた一帯がそこにはあった 玄関口大泊港よりも南端に位置し 稚内に一番近かった駅である 西海岸線終点本斗より接続し石炭搬出の為の鉄路だった 日本で言えばジオパーク状況だがそのスケールと残存さは認定基準をはるかに超えていた |
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本斗駅から伸びる南樺太鉄道線を辿りながら南下 軽自動車操縦士が思わず急ブレーキ なんだ〜 羊の大群が橋を渡ってくる ただ止まる 国内では経験がない為 こういう時どうしていいか固まる 俗に言う羊飼いのおじさん 犬がいないぞ〜 |
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豊原(ユジノ)を除けばサハリンは殆ど田舎である らしい光景に感謝 |
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旧本斗駅から伸びる浜本斗駅まで伸びていた線路 最南端の省線鉄路終点としての設備を要していた 奥に水銀塔が見える |
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ひつじの大群を見送ってから西洋的海岸線が続く 左に線路が併走 南樺太鉄道という名に実にふさわしい |
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左電信柱の左手を線路が続く この電柱の高さは国内には存在しない(木製) |
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この手もたまにやって来る ボンネットもまだまだ健在 |
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ここ画像手前に石炭集積場があり貨車はそこから本斗まで運行しているようだ この辺から終端までは一切使用されていないが剥がされてもいない |
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ピストンダンプ 石炭のでかさが違う 100キロぐらいで追い抜いて行く |
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海岸線を南下してきた線路も川沿いに山側に進むが ここで別鉄橋を発見! どうもこれはロシア側で新線切り替えを進めていたようだが 時代の変化でトラック輸送に切り替わったのでは |
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川沿いに進む スノージェットと言うより地質がもろく落石防止用だろう |
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東洋人を見た事がない という視線を浴びながら 完全な戦前日本の集落を恐る恐る進む 本拠のない進軍ではあるが長年のカンである 隊員はその辺で途切れて終わってるを主張するも 甘い 限界近くでここ入れる?マジっすか いいから 左右に大きく揺れる道をガリガリと 隊長にとってはインカ帝国発見より感動の瞬間だった |
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樺太の鉄道最南端である |
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戦後ロシア側に軌道幅はそのままだがレールは交換されている 掘削の継続があったはずだ 現在は山向こうの海側より事業の継続がされている(トラック輸送) |
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日本製犬釘発見 流れからして 南樺太鉄道もので間違いないと鑑定 |
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口の開いたままの抗道 対象物がないのでわかりにくいが間違いなく地中へ向かっている 隊員は? おっ どこいった? その後の言動を予期してはるか向こうにいる |
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内幌炭山駅前である(ホーム側より) 続く支柱は何を意味するか 言えることは強烈な資金源があった事を感じる |
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積込設備一式が山側中腹まで残る |
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ヤードは2本残っているが当時は複数あった筈だ |
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電線はあるが人はまったくいない |
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中央通りだったろう 立派な建物の廃墟群 |
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学校跡ではあるが これは間違いなく南樺現地事務所跡 これもカンである |
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そのまるごとが今の時代に今だ存在してた事の驚きと その場に立ち会えた事の達成感のような不思議な想い 人は夢を追い 失い そしてまた生きる 先人達の力強さに男気を感じずにはいられない |
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目指せ「樺太西線と鉄道の街真岡」編⇒7Pへ続く 結構続きます |
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