■15周年記念特別企画第3弾■
「銀河鉄道の夜を求めてinサハリン(樺太)」11
2014年6月4日(水)〜6月10日(火) 7日間

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目指せ「北緯50度線」
行くぞ北緯50度にアタック

国立公園のような湿地帯の中に道がある
戦前は敷香から古屯に向けて丸太の道が続いた 何万本?何十万本もの気の遠くなる道だった
現在は一部のみ舗装されていて 永遠の大自然に道があるって感じだ

いよいよ北緯50度線と最北の駅「古屯」にアタックを開始
出発前現状揃う資料を見つめるが 情報不足で考慮のしようがない 要はいっぽん道だから・・・
それしか頼るものがない 燃料と食料はきのう何とか補充したし 出発である
初めて見るツンドラ原野は気持ちをいっそう高ぶらせる


すっげぇサイドカー付きバイクがやってきた
昔のスズキGT350のような形だがもちろんソビエト時代のもの 2サイクルにドラムブレーキだぜ


中敷香あたりは部分的に整備された道が続く

いかにもという感じだ 向こうは敷香側

こっちが目指す「古屯」側

案の定 舗装は一部 大胆に工事をしてる 日本みたいに片側ずつなんてやらない
やるときゃ一気にやるがロシア式 どこを走るかって そりゃだいたいだ〜

こういう場合は先に入ったもん勝ち

サハリン鉄道では統治時代と必ずしも現状の駅が一致しない場合がある
乗降場らしいがいったいどんな車両が止まる?
間違いなく池北線川上駅より秘境である 住人は熊等の獣以外はいない

劣悪な道路状況の中それでもハイゼット号を労わりながら北上
ちなみにサハリンは右側通行である この場合どうしたらよいか 瞬間で判断が必要な場合 キミなどうする?
散水車も止まってくれりゃいいのに そんなつもりは全くなし
それに右側通行だからってデカイ顔してダンプがぶっ飛んでくる さぁ〜どうする!

せまる せまる ダンプとすれ違った瞬間 左へ急ハンドル と思ったら そのまま超強烈シャワー
前が見えない こいつらの脳みそどうなってる
確かにここまで道路から転落してるやつ 遥か向こうに落ちてる車 当たり前のように転がっていた
我ら調査隊「北緯49度20分」国境線目前にして北上を断念!

長年の夢がもうじき叶うそんなエベレスト山頂を100m手前にして断念!
断腸の思いとはこのこと 最北部で撮影したこの画像を最後に調査隊には画像がない
サハリンのバラストはもともと鋭くデカイがこのあとバカみたいなバラストロードが続く ゆっくり走っても
この悪路があと60キロぐらい続く筈だ パンクでやられている台数10台近い ダンプもRVも関係なし
まるで針の上を走るが如しである 隊員のひとりが(ひとりしかいない)もうやばいんじゃないっすか?
だから? パンクやばいっすよ・・・! 交換すりゃいいじゃん スペア1本だけっすよ
他人事のようにパンクの車を見てきたが2本いかれたらを考えていない・・・我に返る
まてょ〜2本パンクしたらどうなる だれも助けちゃくれない JAFもない 領事館の緊急携帯も圏外である
戻るには相当来てる 夜が来る 熊が来る それも知床よりでっかい奴がくる
思い立ってからほぼ10年 ようやく最北「古屯」の駅に立てる 立って見たいの一念 こんなことで・・・
帰りの予定もビッチリだし万一・・・ この根性なし!と隊員を心で唸り飛ばして 無念の同意
かくして調査隊ちり果てた瞬間である
地図

右の大きな町が敷香 左上が上敷香 左下が内川炭鉱 地図外だがその下に内路の町がある
作戦を変更
旧上敷香駅 (レオニードヴォ サハリンエコエ)

美しい空と静まり返る「上敷香」の駅である この駅舎出来て新しい もっと早く来ればよかった
この土台に違和感 たぶん旧駅舎の土台跡だと思う ここは時刻表に表記されていた最北の駅でもあった
ここから終点「古屯」までは軍事線だった 間際の時刻表でも上敷香行の列車が存在していた
ここで折り返したのか そのまま時刻表にない列車として終着まで進んだかはわからない
ただ陣容としては立派な構えであった事が伺える


犬も反応しない 時間が止まってる・・・

進む先が50度線近くの「古屯駅」である

給炭台跡か?転向設備らしきスペースも確認出来るが 中へは入りづらい

駅前でカメラ持ってウロウロしてるとやばそうな民家からおっさんが出て来た
面倒な事にならなきゃと思っていたら 東洋人が珍しいらしく ロシア語でいっきにまくし立てて来た
それならとこちらも英語でいっきにまくし立てて見た わからない顔してたが 少し理解したみたい
こちゃこいって感じで あそこにでっかい駅舎だか官舎だかがあったんだぞって言ってるようだ
それがこの倉庫に入ってるといってるようだ 鍵がかかってるから見せてよとばかりにOPENプリーズって!
ダメダメって でも俺の写真を撮れと猛アピール 訳わかんないがパチリ

ここでもハイゼット号のスライドドアが珍しいらしい お気に入りの様子だった
せっかくだからポテチをプレゼントしたらおっさりとサンキューだった おっさんやるな〜
おっさんの先が旧ホームだったらしい 広い 左側に大きな施設があったようだ おっさんスパシーバ

胸くそ悪い戦勝記念公園が上敷香入口にある いかにも開放の如くの碑が並ぶ
ここも含めて田舎では民家の屋根にロシア国旗が目立つ 自国なら旗日ぐらいの掲示だろうに
ここ南樺太は現在でも国籍所属未定地なのである だからアピールし続ける必要があるのだろう
線路も町も炭鉱も港も全ては日本側が形成したものである
旧内川炭鉱専用線(ナローゲージ)

上敷香からデルタ線を南下 未舗装路脇に突然炭鉱の看板が・・・
トロッコもあるじゃん きっと炭鉱町だったんだろうぐらいで興味深々 ソロリと進む

三笠のジオパークもかなわない程 何やらゴロゴロしてる 鉄分の匂いがするなぁ〜

トロッコのマークが気になり その程度で集落へ入ってみた
なんだか空気が違う 今までとはぜんぜん違う 誰かに見られているようだ


左の家は完全に日本時代のもの こんなところにもいたんだなぁ〜と

内幌炭鉱も凄かったが人はいなかった ここはいる 全部ロシア人だがちょっと違う

トロッコ発見か!
車からおりて撮影するもよく確認する時間がとれない 見ている 住人が見ている
まず日本人は戦後そうそう来ていないところだ 集落の最深部まで潜入している
言葉は悪いが完全なスラブ街のようだ 平日の昼なのにみな家の前でたむろしてる パンツ一丁姿だ

ここの家も住んでいる カメラを向けると走ってきそうな感じだ 取り囲まれる前に脱出

道路に戻り 内路に向かうと客車か貨車らしきものも発見 ここも止まりにくい感じだ たぶん間違いないだろう
詳細な地図をこの時点でも入手出来ていない あとでここが名門内川炭鉱である事がわかった
なんとナローの専用線が敷香へ 川を渡り敷香から無限の湿原を抜け遠く山中まで存在した事が判明 おばかさん
旧鉄道省「内路」自動車区 (ガスチェーロ)

鉄路なき最北の西岸要衝「恵須取」への連絡基地だった内路自動車区の跡?と思われる
ターミナル的なスペースと統治時代の車庫群が残る 石炭バスでも入ってないかと・・・

とり忘れた画像の方にはいかにも車庫の扉がいくつかあった 地理的にも断定してもいいかも知れない
鉄道省営自動車時代のものを国内で見る事はできない
一日3往復 恵須取まで片道6時間半の道のりだった 悪路の中 石炭バスは走り続けた

旧内路村役場だと思うが 他にもタイムスリップ出来るだけの建物がズラリと並ぶ
衝撃の最終回⇒12Pへ続く どうぞご期待ください!(初公開です)

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