■15周年記念特別企画第3弾■
「銀河鉄道の夜を求めてinサハリン(樺太)」5
6月4日(水)〜6月10日(火) 7日間
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おかしい・・・何かが走ってる! ふとレールに目をやると錆びがない これ廃線でしょ・・・ 待て待て錆びどころかこりゃ走ってる 間違いなく何かが走ってる そんなばかな 廃線だし 貨物の運用もないし 期待は膨らむが調べる取っ掛かりすら見当がつかない・・・ |
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感動の湖まではよかったが引き返すハメになった 調査隊ここで引き下がる訳にはいかない 例の秘密兵器を駆使して反対側へと戻り入口を探る 豊真線分岐駅の旧手井駅だ 真岡鉄道連絡線用の貨物ヤードになっている |
ここが分岐点 ちなみに踏切である この先左の集落から山に入る |
相当古い集落 所々日本時代の建物も残っている ちなみに全線未舗装 |
この踏み切り手前を右へ 線路は直線が続き勾配に向けダッシュ |
日本の民家にロシアの女の子 田舎に行けばどこでも見られる光景 |
おおダムの築堤か? 予定ではあの向こうにあの湖があるはず |
最後の坂を一気に登る | これ車止め |
やった〜推理はあたった | 振り返るとおっさん つり中 何もそんな小さな池で釣らなくても でっかいのがここに・・・ |
真岡の町を通り過ぎた時 もう一人の隊員が肉だ肉だと前も見ないで叫んでいる 露天で煙ボウボウ ボディランゲージで買ってきた とりあえずの目的をたっしたから遅い昼に お世話になった黒パンにケチャップ味の肉と玉葱 生の玉葱かいと思いつつこれが基本らしい 腹が減ると何でもうまい |
歩いて見たいなと思った あの先に美しい光景が いや熊がいたらと葛藤するも 後者を否定しきれない・・・ |
レールは新幹線並みの100キロレールぐらいに付け替えられている 特徴としては背が高く接面の丸みが少ない 削れ具合からして日本のようにフランジ部の斜め切りがなされていないようだ つまりはベタ乗せってことだ ロシアの貨車を見れば日本のような50キロレールでは到底もたない |
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本日のミッション終了 この築堤だけでも来た甲斐あり D50や9600達が豊原目指して奮闘していたはずだ この後 真岡のホテルに戻り駄目元でフロントのお姉さんに質問攻め 粘って粘って でも判らず 30分ぐらいしてコンコンコン 一枚のメモ 訳してみると これはうれしい ダーチャ(別荘)に向かう臨時列車が週末限定で走っているらしい 来た来た来たー!粘り勝ちである 調査隊にスイッチが入る 真岡発8時35分と夕方の2往復らしい でもな北真岡から本斗間の旅客は既に廃止され 周辺には一切該当車両がない 沸き立ちながらも不安は拭えない 今日のミッションが活きる事に期待して |
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翌朝8時10分真岡駅の何もないホームを覗いて見る いた〜乗車待ちのみなさん ヨッシャー出動!と言う訳で ■パノラマ劇場をお楽しみ下さい■ ■動画は⇒こちら ■高画質バージョンは⇒こちら |
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カシャカシャ カシャカシャカシャ | |
小さな声で 来たぜ来たぜ来たぜ | |
またまた たまらん | |
うぉ〜止まりそうだ〜 | |
風向き 順光 信じられん 心の声 | |
無言 | |
何かの正体はこの臨時列車だった 日本の富士重工製DC 猛烈な排気煙を上げながら 心に残るワンショット |
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■それでは寄りめでもう一度■ | |
蒸気と同じようボーっとずぶとい汽笛が山間に響き渡るが中々やって来ない 排気煙だけが蒸気のように先にやってきた |
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豊原にいたDCと同じだ どこから来たかわどうでもいい | |
まつわり付いてるぜ | |
おおっいい感じだ | |
そのまま そのまま〜 | |
再度登場 | |
音が付いてない 申し訳ない! 動画が写ってたらアップ予定(アップしました) | |
3両編成 結構乗ってる | |
へんな東洋人 カメラで取ってる そんな視線を少し感じる 手を振る勇気が・・・ | |
絶気寸前 力がない分粘る粘る | |
3分間ファインダーの中をかけ登ってきた この後湖畔へ 過ぎる姿も中々だ 恵まれ続けた偶然に感謝 よく情報を調べてくれたフロントのお姉さんにスパシーバ |
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3分後対岸を行く 終点池之端駅に向け かくして2日越しの撮影は終了・・・ ※運行時刻に関しては大きく変動があるようです 必ず現地にて確認してください 目指せ旧「南樺太鉄道内幌炭山駅」編⇒6Pへ続く |
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史実 ソ連軍南下と真岡上陸により逃げ場を失った民間人と陸軍守備隊は豊原まで唯一の道であった豊真線伝いに進んだ 有名なルーブ線地帯はこの地区最大の激戦地となった 以前知り合った函館のじいさん 何度か会ううち話してくれたのがこの事だった 当時真岡駅の職員で終戦後にも拘らず 艦砲射撃が・・・その際砲弾破片を被弾するも逃げに逃げたと言っていた 熾烈な銃撃戦の中 気を失い 長い時間の後 気が付いてみるとまわりの日本人は皆なくなっていたと いいから触ってみろと手を取られて触れた肩には間違いなく鉄の塊があった 帰国までの4年間は最後まで語らなかった |
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