郷愁の海舞鶴線

終点桟橋待合の駅には多くの連絡線が存在した ごく僅かに残る廃線遺構/旧国鉄舞鶴支線 舞鶴港線(通称:海舞鶴線)にて
福知山
2006

店長直行メール
郷愁の海舞鶴線
郷愁の海舞鶴線

舞鶴は港と共に栄えた天然の良港である 鉄道からの視点で見れば 宮津線との分岐である西舞鶴が基点である
商業・工業を中心とし また多くの民間人の利用を目的に敷設され 長い間足として利用されてきた
西舞鶴駅を東舞鶴方面に併走しやがて左へわかれる空き地がある そこが海舞鶴線の入口である
この線の特徴は道路に併走していないところである 町並みから想像するに線路が先でそのめいっぱいそばまで
家がたったようだ 目で追うより地図からの判断の方が的確である
第一埠頭と第二埠頭でこの線路を見失うだろう 挟む川に想像を消されてしまう 第三埠頭あたりをさまよっていると
一番上画像の旧踏み切りを発見出切る この辺あたりから3線に分岐していたのがわかる
終点である筈の付近は整備され このあたりと憶測の粋をでない
資料から判断するに税関あたりが舞鶴港駅だったようだ 一方踏切に戻り藪を歩いていくとようやく小さな築堤らしい
石垣を発見出切る「ヘェ〜」いい感じじゃんって思ったが待てよ これってどこへ行く?
その先は運河のような川である⇒つづく
↑唯一残っているレール
とぼとぼと歩くアヒル?っと思っているうちに行き止まりである そうか民家の間を縫って埠頭に橋が架かって
いたから解らなかったんだと「ウンウン」 待てよいゃ〜なんか変・・・ 鉄橋のわりにはあまりにも低すぎる
漁船はどうすんのよ・・・!って 付近の示威様に聞いて見た ようするに「可動橋」があったらしい あとで調べて
みるととても素敵な橋である 納得・・・ 誰かが餌付けをしているようでこのアヒルたちここが自分たちの住処
だと思っているらしく橋梁先端部をみようと近づくと怒る!本気で怒る!
ってな訳で今回は近くからということにさせてもらった⇒つづく

上左画像の中央部の草むらが第一埠頭側の橋梁先端部である
この線のハイライトであったろう

旅客営業は早くに廃止となったが貨物は国鉄末期まで営業を続けた
昭和45年西舞鶴機関区を訪れたとき
予想以上に入れ替えのカマが多かったのを覚えている
これだけ必要なのかな?と・・・
今頃になってその意味が分る様では落第である
可動橋をバックで渡るC12を一度この目で見てみたかった

丹後半島の道路整備が進んでいない時代
各所に連絡船も多く出ていたと聞いた
現在でも駅からは行きにくい

きっと当時は住民に愛されたに違いない
地元の人はみな「海舞鶴線」と呼ぶ

←当時の画像のオレカ 素敵ですね

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