タイムスリップした異時空間を演出する「北吸トンネル」 旧国鉄舞鶴支線 中舞鶴線にて |
福知山 2006 |
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西舞鶴方から東舞鶴駅を直前に大きく海側へと向かう国内でも珍しい路線配置であった 旅客運用があった時代 東舞鶴駅を一旦は出発するもすぐに停止 折り返し向きを変え中舞鶴線へと入線していた これにはおおきな意味があった 舞鶴市は大きく3つの町に大別できる はじめは「西舞鶴」商業の町 次に移住の方も含む 新興の町「東舞鶴」そして軍港の町「中舞鶴」である 軍事路線ともいうべきこの路線では当たり前のことだったのだろう 概ね当時の痕を追うことができるが元北吸駅周辺からは国道に飲み込まれる形となる この周辺からは現在でも 歴史の時間が止まっているように感じる 赤レンガの倉庫群は戦時中 兵器・弾薬の貯蔵庫であり特に魚雷が多かったという 現在では海上自衛隊がそのあとを引き継いでいるが塀で巡られた様子は当時を連想させる 付近の団地近くには現在でも「トーチカ」が残っているという 九州ロードの時に門司港駅の連絡線通路の横にそれがあった 細い隙間から人が人を監視する 生きるという事と勝という事の現実に触れるような気がする この倉庫群にもいくつかの引込み線があったようだか決定的な遺構は残っていない 考えたこともなかったがSLが魚雷を貨車に載せてここまで引いてきたのだろうか・・・? 終点中舞鶴は旧海軍総監部があり日本海防衛のための重要な役目を果たしていた 古い話だが バルチック艦隊を むかえうつため日本海大海戦で旗艦をつとめた軍艦三笠もここにいた 東郷平八郎の住居もここにあった 広島と長崎に原子爆弾が投下される前この舞鶴に模擬弾が投下された 民間人が住むスペースがほとんどない町である 現在ではC58が保存展示されているあたりがそれにあたる |
ライトアップされる赤レンガ倉庫群 細かい網目の鉄格子が絶対を感じさせる |
終戦後多くの同胞がこの舞鶴へ命からがら戻ってきた ようやくたどり着いたのに絶命した人500名以上 家族を失い また消息不明になり 果ては次男三男坊ということで 帰るところが見つからずこの地に永住した方々も とても多いと聞いた 国のため家族のため果たして今の時代に命をかけて 出征できるだろうかと・・・ この地にまでたどり着けなかった方 数えきれず 何不自由ない現代はその英霊たちの魂の礎である 我々と同様の年ごろに多くの思いもあったはず 愛するひとも いたはず 戦争は全ての自由を奪い不幸を招くばかり・・・ 国内は順調に成長していく中 昭和35年頃まで引揚は続く シベリアからの帰還が一番遅かった 場合によっては20年ぶり に里帰りした人もいたはず どのように目に映ったのだろう・・・ 左の乗車票はもうあってはならない そして忘れてはならない きっぷである 店長 |
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