汽車のいない光景になぜか魅かれる時がある
もう来ないはずなのに汽車を待つ自分がいる 朽ち果てたホームの駅名板 さび付いた車留め 記憶のなかで在りし日の姿が浮かぶ
夕日の斜陽に伸びる長い影 照りだされたベンチにも駅長の笑顔にも 暖かさがあった
鉄道情景はそんなことを思い出させてくれる・・・ 鉄道が好きになった原点がそこにはあった (画像文責)店長
■汽車の来ない鉄路■ 石炭列車に混ざって単行でのガソリンカーが走っていた頃、この「知人駅」が終着駅だった これでもかという程の石炭を満載にしてきた列車は奥の信号からそのまま海沿いに桟橋へ たまに来る旅客はこの線路へと入線してきた 線路脇のここで終わっている道も昔は泥の道だった 雨が降るととても長靴なしでは歩けなかった 地図をみても釧路駅からそれほどでもない距離ながら この集落の足はぐるっとまわった東釧路へ行く方法しかなかったに等しかった 住民の要望からこの後「臨港駅」「入船駅」終点と延長された 観光地でありなから ちぐはぐな街づくりが目立つ釧路 美しい知人岬を走る最果ての郷愁鉄道はその原点かもしれない 線路脇いっぱいに採れたばかりのコンブを干していた とても現代の鉄道とは思えないこの光景が今でも存在している ←大昔の直積み方式から集積場への石炭落とし込み方式 ガーター下ではブルが忙しく走り回っている ↑知人岬に向う線路 霧さえなければ釧路の空は美しい →桟橋附近の運搬船とタンカー ■釧路川に終結した終着駅■ 釧路の漁師は金の使い方を知らないと言わる程賑わっていた時代 釧路川幣枚橋周辺は釧路の中心地だった 言わずと知れた釧路駅から釧路川へ南下すると浜釧路駅があった(その昔はこれが釧路駅だった)そして対岸には 釧路臨港鉄道の終点「入船駅」があった 東釧路を基点とし釧路駅にも接続が悪かったこの終点「入船駅」 一旦歩いてバスに乗ってから釧路駅までいったんだょとは地元の婆様方 それでも賑やかで活気があったょとも言っていた 川を挟んで2つの終着駅そんな街はここにしかなかった 現在「臨港駅」はマンションの下敷きに「入船駅」は駐車場へと変わってしまっている ビルが立ち並ぶ釧路駅周辺から車で10分 別世界「知人駅」は生きている |
「北の要塞苗穂」 手宮が北海道鉄道発祥の地ならば苗穂は北の鉄道の聖地である。現在の苗穂駅や工場・運転所も狭苦しくなった鉄道界の中では立派な威容を発しているが、本来の姿はこんなものではなかった。今は8番線までに削られてしまった扇形車庫も15番線まであり、対面上の側線にも余すところ無く放射線状のレールがあった。D51・C57・96・C11・DL・DC・PCと、とにかくレールの上に全ての車輌を乗せてあるというほどの混雑ぶり。SLの給炭作業では形上4重連・5重連はあたり前、青い空など見えなかった。…と写真集ではこの辺までは紹介されているが、本来の苗穂は機関区を中心とし、無数の枝線が延びていた。今でも残る所からいうと本線と転車台の中にゆるいアールのレールが二本ある。車止めで止まってはいるが、その向こうにまっすぐと延びていた線路があった。現在では道路がアンダーパスになっている為わかりにくいが、それは一直線に自衛隊倉庫へと向かっており96が自衛隊物資などを頻繁に出し入れしていた。反対線路南側のには千歳方からの引込み線があり、現在のアンダーパスを越えた直後から南方へ広がっていた。三角形状に用地が使用され貨物の乗せ換えヤードとして活躍をしていた。戦前の地図を見るとその旨の表記がはっきりとされている。現在の当社本店もその上に存在していることになる。 続いて南側札幌寄りには現在巨大なマンションが建っているが、こちらも駅留の貨物扱いスペースがあった。レールは剥がされたものの本線からのその名残は今も見ることが出来る。同じく北西側を思い出せば鉄道学園への引込み線から別れ真っすぐ北上する支線があったこれは現在の大日本印刷工場への引込み線である。また、もっと西側にはご存知サッポロビール工場への引込み線なども存在し、広大な工場共々どこまでもレールだらけ。まさしく北の要塞そのものであった。 イベント列車によるCタンクの出入りはあるものの、扇形車庫を真っ黒に塗り替えたほどのあの煙はもう無い。 |
↑北海道唯一の第2機関区だったELの牙城跡 ←手宮線は今でも街の一部、撤去論議すら必要としていない |
九十八戸の生活路線だった「深名線/北母子里駅跡」 今はエゾシカと北キツネの楽園となってしまった旧北母子里駅。今から40年前最大住居戸数九十八の集落も現在では二十数戸になり、その足跡すらが失われている。名寄への道が無く(当然バスなどない)また朱鞠内方面は1年の大半が雪で閉ざされるなど完全に陸の孤島だった。駅舎横には保線詰所があり、駅長・助役共々15人の職員と家族の官舎も存在した、駅舎から伸びる1本の道には数軒の北海道型木造住宅が今も見られ、当時の面影と厳しさを伺う事が出きる。花壇に花を植えている老夫婦は簡易郵便局長たち、ウグイスの爽やかな鳴き声とのどかな日差しは忘れかけていた平常心を取り戻してくれる、「きょうはポカポカでいいしょ」と声をかけてくれる。言葉にならぬ自然の厳しさと忍耐から生まれるやさしさ、素敵なところです。今でも「北母子里」の中心は間違い無く駅であるという事を確信した。 |
店長直行メール |
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