4大夜行普通列車 「からまつ」号の記録


昭和49年8月 滝川駅にて撮影
「”リリリリ〜ン”お待たせしました、3番線より小樽行「からまつ」号の発車です お見送りの方はホームでお願い致します」
SLが無くなって約1年後の、昭和52年1月豪雪の中、約1時間30分遅れでの釧路発車
もととも見送る人もいない程、車内はがら空きで、出発前の旧型客車は、ホームの隙間から盛んにスチームをあげ、その湯気が二重窓に凍りつく、
その気温は確かマイナス20℃ぐらい 列車の中で食べようと思った駅弁も冷たくなってしまい、買いなおした熱いお茶で流し込む
することも無くじーっと発車を待っていたような気がした
「ヒィー」って言うホイッスルの後、ガタガガターンと一番後のこの車両にも、ようやくDD51の力が加わり、動き出しました
車内を見渡して、確か4−5人だけの乗客、銀河鉄道999なんてものも無い時代だったが、今思えばそれ同様、いやそれ以上だったかもしれない
暖ったかかった筈の足元のスチーム管も、気がついてみればただの風状態、リュックからありったけの服を着がさねして
やっとウツリウツリ、何時間立ったのだろう、あまりの寒さで目が覚め、手袋でガリガリ窓を擦ってみると、
雪の吹き溜まりの中、ぼんやりと「新得」を発見 定時も乗客の事も関係無く、ただ進むだけのそんな状態だった
直立不動の木の椅子で、体中傷みだらけ、じっと木枠に入った日本国有鉄道の地図を見て、まだここかー・・・
そんな事を何度か思いつつ、翌朝2時間半送れで小樽に到着したのを覚えている・・・

どうでもよかった
夜行普通列車だったが゜
大事な列車でもあった

わかる範囲で記録に残して
おきたいと思います

普通列車「からまつ」についての
情報がありましたら
お教え下さい
 
 

「からまつ」行先板・愛称板いろいろ 説  明
独特のいでたちの「からまつ」のサボです
白板吊ホーロー彫文字○小で「からまつ」の文字と持ちのみ浮文字で裏逆です
当時の使用方法は、10系に縦差しでした
編成中、1両又は2両の寝台車のみに使用され
マルス導入による寝台券発行のため
愛称記入となりました
正調白板の愛称板と言いたいところですが
都合上、厚手のアクリル板製で使用したものです
本来の鉄板塗文字を模したものですが、中々の出来でこの手作り感が良いですネ
凍結による割れ跡でしょうが、直してまで使っているところが、いかにも「からまつ」らしいです
白板自体貴重なものですが
この代用品はある意味で、もっとレアなものでしょう
これが「からまつ」の愛称板です
本来は、寝台車に使用していましたので、10系の青い愛称枠なんでしょうが、どうしても、旧客の茶色が似合うと思うんだけど・・・





↑厚盛板の持ちはこれまた立派
たまらない作りだ
「からまつ」愛称板ゲテモノシリーズの決定版ともいうべき純正品?です 驚きはこの透明アクリル板に本気で正規の型を乗せて立派な浮文字に仕上げていることです よ〜は「からまつ」だから何でも良かったのです でもよ〜く考えてみると10系のブルーのボディーに朱色の文字が浮き出る?
素晴らしい演出だったかもしれません
とうとう発見!?
「からまつ」紙板愛称板

「大雪」「まりも」等と同様の厚紙製です
使用痕充分 増発が他の急行のように
あった訳でもないのに立派に存在していた
マイリマシタ
※裏面は「急行・北見-網走 普通○手」
の種別板
何でもありの「からまつ」号でした
【年代別運行ダイヤ】
年 代 列車番号 釧 路 池 田 帯 広 新 得 小 樽 所要時間
1978/S53 424レ
1975/S50 424レ 19:00発 22:03/22:12 22:46/22:58 00:01/00:13 06:36着 11:36
1973/S48 424レ 19:07発 22:05/22:14 22:48/23:00 00:01/00:14 06:52着 11:45
1971/S46 424レ 19:05発 21:52/22:01 22:35/22:47 23:59/00:12 06:53着 11:48
1967/S42 424レ 18:35発 21:27/21:42 22:16/22:30 23:36/23:53 07:10着 12:35
1964/S39 422レ 19:07発 21:54/22:02 22:37/22:43 23:52/00:24 07:16着 12:09
1961/S36 422レ 18:50発 21:33/21:45 22:20/22:25 23:37/00:10 07:16着 12:26
1955/S30 412レ 18:35発 21:22/21:27 22:03/22:08 ?????/23:25 07:09着 12:34
愛称使用開始昭和49年7月20日/昭和55(1980)年9月末で廃止
「寝台券」いろいろ 古い順から並べています
↑等級時代 ↑等級時代 ↑等級時代

45.1.25

45.6.6
↑等級時代

46.2.11

46.3.13]

46.10.29

47.4.16

47.4.16

48.7.16
↑完全常備券

48.8.18

48.8.18

49.2.25
↑完全常備券

49.8.28
↑愛称使用開始1ケ月後

49.9.28 マルス券も存在⇒クリックで拡大

49.10.1 料金改定初日券

51.3.29

54.2.21

55.9.4
捜索中 捜索中
55.9.17 廃止直前

←番外編→
ですが・・・


列車廃止
昭和55年9月末
廃止
 
軽食・喫茶
からまつ

うちの姉妹店
ではありません

からまつ材で
いい雰囲気・・
温根湯にて
きっぷでも当時の写真でも「からまつ」号に関する物でしたら歓迎ですお待ちしています
↑423レ時代の行先板
現在稚内在住のHさんからご提供頂きました
貴重な思い出きっぷとコメントです

私は海上保安庁の巡視船に乗船勤務しておりますが
当庁の職員になりますと、舞鶴市にあります
海上保安学校で職員として教育を一年間受けますが
そこを終えて最初の赴任地
根室への赴任のときの切符です
本州での特急券などはなく
なぜか、からまつ寝台券と乗車券が残ってました
 当時は初任でしたので不安な気持ちで
朝、からまつの車窓から、音別あたりの太平洋をみて
海が時化てないので安心したり
(船酔いなどの心配のため)したことなどが思い出します
浅香さんは、標津を第二の故郷と聞きましたが
私は中標津生まれで12歳まで住んでいました
いまさらですが、鉄道にもう少し早く関心があれば記録でももう少し残せたのでしょうが
・・・
からまつはいろいろな人生を乗せて走り続けました ご協力誠にありがとうございました

↑昭和38年の道内時刻表にはSLマークが表記されている あのからまつが狩勝峠を蒸気牽引で超えていた・・・
見渡す限りの大パノラマと闇夜を貫く汽笛はきっと響き渡ったに違いない・・・ あえぎながら・・・
←番外編ですがとても重要だった列車のご紹介です

「苗穂発手宮行44列車」
行先板に苗穂行は存在しない、だが苗穂発は存在した この44レは運用からくるもので
返しは翌日岩見沢行となる もうひとつ理由がある それは定山渓鉄道の存在
当時の苗穂駅は機関区だけでなく 定鉄の終点でもあり 市電もあった
ついでに屋台なのか ほったて小屋なのか微妙なラーメン屋もあった
当時はまだ小樽でなく手宮が中心だった時代 その接続列車だった訳となる
苗穂行の筆文字があったならば・・・ あぁ〜躍動の時代だった
【末期の車輛基本編成】昭和51年10月改正
小樽駅到着後解結中の「からまつ号」懐かしい〜!昭和50年
←小樽「第424列車」釧路→
DD51 マニ36 マニ36 スユニ61 スハネ16 スハネ16 スハフ44 スハ45 スハ45 スハフ44
大航2 札荷1 釧郵1 (札サウ)
(釧路-池田回送扱)
(札サウ) (釧クシ) (釧クシ) (釧クシ) (釧クシ)
昭和51年10月改正 1号車欠
11月2日−1月21日/3月21日−4月30日
1・2号車のみ「からまつ」表記 釧郵/札−小回送
小樽-滝川間・ED76(岩2)
滝川-釧路間・DD51(釧路)
但、上りのみ滝川交換

区間走行距離925キロ/交番検査期限32日/換算両数36.5

【運用方】
釧路より424レで小樽到着後829レで札幌へ
返し回1830で手稲へ清掃後回1834で小樽へ
下り423レとして釧路に向う

夜汽車の窓から遠くを見つめた








団臨急行「からまつ」

札幌駅出発前の画像です

4大夜行普通列車の記録
列車名 からまつ



はやたま






山 陰






ながさき
誕生 昭和49年8月 昭和53年10月 昭和50年3月 昭和51年3月
列車番号
区間 小樽〜釧路間 京都〜出雲市間 門司港〜長崎・佐世保間
時間
編成
備考 切符拡大画像⇒こちら 昭和59年2月12系化 さよなら「ながさき」へ行く
きっぷ
廃止 昭和55年10月 昭和59年2月 昭和60年3月 昭和59年2月

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